一緒に働いてて楽しいのは、きっと意味も無く謙遜しないひと

去年は、ブラック企業に勤めていました。

このまま辛い辛いと思いながら生きていくのは時間の無駄だと思い、あっという間に退職しましたが、そこは零細企業だったので、社長の機嫌ひとつで全て決まってしまうような、ひどい環境でした。そして、そもそも社長の機嫌が良いことなどほとんど無く、常に何か理由をつけて怒鳴り続けているような、史上稀に見る最凶のひとでした。

その史上最凶たる所以のひとつが、「武勇伝を語ってきたので素直にスゴいと言ったのに、何故か怒鳴られる」です。素直に褒めたんだから、素直に喜べばいいのに…

 

しかし先日、現在の仕事の関係で、そのブラック社長とは真逆のような方とお会いしました。

もちろん武勇伝を語ってきたわけではありません。目の前で、「これぞプロフェッショナル」という技を見せつけられたのですが、そのこと自体もさることながら、その後の態度も含めて、このひとと働くのは楽しい!と思えました。

ブラック社長もその方も、偉い人という点では変わらないのに、何故こうも周りの雰囲気が違うのだろうと考えてみました。

 

 

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photo by Kenny Teo (zoompict)

例のプロフェッショナルなひとはその日、仕事ぶりが神がかっていて、本人も満足げな顔をしていたので「すごいですね!」と言うと、「だろー!?」と、満面の笑顔で答えてくれました。

「いやいや、こんくらい普通だから」などとは一切言わず、仕事中なのにとにかく楽しそうだったので、こちらも楽しくなって帰ってからも「いやー今日はいい仕事したな!」と思いましたし、そのひとの部下もみんな楽しそうでした。

そんな愛嬌たっぷりの性格に生まれたかったな…と、うらやましくなりましたが、結局のところ、愛嬌の正体は「素直さ」なのではないかなという結論に辿り着きました。

 

自分がブラック企業にいたときは、ちょっと褒められて嬉しそうにすると、

「そんなんで喜んで、やる気あんの?」

と言われてしまうので、

「いや、こんなの褒められるようなことじゃないんで、もっと精進します」

みたいなことを眉間に皺寄せて答える癖がついていました。そして仕事以外でも、だんだん自分の気持ちを正直に表現できなくなっていき、振り返ってみれば、愛嬌の欠片もなかったなと思います。

以前、ブラック企業から抜け出すためには自尊心が大事ということを書いたことがありましたが、素直に喜べるかというのも、自尊心がちゃんとしているかのバロメータだと思うのです。

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photo by B Rosen

もし上司に褒められたとして、素直に喜んで、それで怒られたら、それは上司が人としておかしいのだと思います。

自分が褒められて、「あんまり喜んじゃ怒られるかな…」と心配になるようなら、それは人としておかしい上司に影響を受け過ぎなのだと思います。

褒められて気を引き締めるのは心の中でだけで充分で、言葉でいちいち「手放しで喜んでるわけじゃありませんよ」って表明するのは、パフォーマンスであって、つまりそうやって無意味に謙遜してみたり、自分を卑下したりしてみて、人の機嫌を伺って生きる癖がついているのではないでしょうか。

 

逆に自分が上の立場であるとき、下の人から褒められて、「いやいや…」と言ってみたり、嬉しそうなそぶりを見せないように頑張るのは、それはそれで昭和の人間っぽくてかっこよくもありますが、仕事の環境によっては、自分のそういった態度がその場の雰囲気を左右することも大いに有り得ます。嬉しそうなのが顔に出ないように頑張っていたら、部下は「やべーなんか怒らせちゃった…」としか思いません。

職場の雰囲気を明るい方へ改善したいと思うならば、たまには素直に「ありがとー!」と言ってみてもいいのじゃないでしょうか。そのポストを目指している下の人間から見たら、上司が誇らしげにしている方が、自分もあんな風に仕事が出来るようになりたいと思う気がします。

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とにかく、自分の感情を押し殺さず、嬉しいときは素直に嬉しそうにした方が楽しいし、ひいては周りも楽しいし、健康にだって良さそうだし、自尊心も傷つけないし、何年か後の顔つきだって変わってきそうだし…ということで、これからは素直さを心がけていこうと思ったのでありました!