宮沢賢治『オツベルと象』ー社会を知ったあなたにもう一度読んで欲しい
皆さんは国語の教科書などで、宮沢賢治の『オツベルと象』を読んだことがありますか?
オツベルという人使いの荒い男と、そこへひょっこりやってきた白い象の話です。
「グララアガア、グララアガア」という独特の擬音語や「苦しいです。サンタマリア。」という台詞が印象に残っている方が多いと思います。
子どもの頃は、この話の何が面白いんだかよく分からず、「オツベル」の「ツ」を「シ」みたいに書いちゃうと減点になるぞ……という噂にびびってテスト中に何回も書き直したり…そんな思い出しかありませんでした。
宮沢賢治 オツベルと象←こちらの青空文庫で読めます。
どんな話だったか思い出せない社会人の方は、ぜひ一度読んでみてください。
特に今、なんだか良く分からないけど必死で働いている方、これから就職を控えている方に読んで欲しいです。
私は、教科書で読んでから10年以上たった今、ブラック企業勤務の経験を経て、あの頃との受ける印象のあまりの差に衝撃を受けました。正直なところを話すと、鼻水垂らして泣きました。
オツベル(ブラック社長)と象(哀れな新入社員)
オツベルときたら大したもんだ。
稲扱 器械の六台も据 えつけて、のんのんのんのんのんのんと、大そろしない音をたててやっている。
十六人の百姓 どもが、顔をまるっきりまっ赤にして足で踏 んで器械をまわし、小山のように積まれた稲を片っぱしから扱 いて行く。
出だしからいきなり、ブラック企業を連想してしまいませんか?
そのうすくらい仕事場を、オツベルは、大きな
琥珀 のパイプをくわえ、吹殻 を藁に落さないよう、眼 を細くして気をつけながら、両手を背中に組みあわせて、ぶらぶら往 ったり来たりする。
オツベルはおっつけ零細企業の社長や管理職といったところでしょうか。
上司っておおむねこんな感じ。
そしてじっさいオツベルは、そいつで上手に腹をへらし、ひるめしどきには、六寸ぐらいのビフテキだの、
雑巾 ほどあるオムレツの、ほくほくしたのをたべるのだ。
この一文で、オツベルの憎たらしさが十倍増しです。
零細ブラック企業にありがちです。社員は休み無しの薄給なのに、社長はベンツ乗ってる…みたいな。
ここで象が登場します。かわいそうな新入社員です。
そしたらそこへどういうわけか、その、白象がやって来た。白い象だぜ、ペンキを
塗 ったのでないぜ。どういうわけで来たかって? そいつは象のことだから、たぶんぶらっと森を出て、ただなにとなく来たのだろう。
そう、ただなにとなく入社しただけなのです。
社会を知らない新卒ですから。
するとこんどは白象が、
片脚 床 にあげたのだ。百姓どもはぎょっとした。それでも仕事が忙 しいし、かかり合ってはひどいから、そっちを見ずに、やっぱり稲を扱いていた。
ブラック企業の社員というのは恐怖に支配されて働いていますから、怒られては困るから余計なことはしないでおこう…という心理が働きます。よって来訪者が来ても目を合わせません。
社員がにっこり挨拶してくれない企業は、ブラック企業の可能性が高いと言えます。これから就活する方は、そういうところも見ておいてください。
一方、社長の態度はというと…
オツベルは
奥 のうすくらいところで両手をポケットから出して、も一度ちらっと象を見た。それからいかにも退屈 そうに、わざと大きなあくびをして、両手を頭のうしろに組んで、行ったり来たりやっていた。
新しい奴隷を確保するためには、甘い嘘をつくのです。
楽な仕事である風を装ったり、自分は決して怒鳴ったりしない優しい経営者である風を装ったりします。
「どうだい、
此処 は面白 いかい。」
「面白いねえ。」象がからだを斜 めにして、眼を細くして返事した。
「ずうっとこっちに居たらどうだい。」
百姓どもははっとして、息を殺して象を見た。オツベルは云ってしまってから、にわかにがたがた顫 え出す。ところが象はけろりとして
「居てもいいよ。」と答えたもんだ。
「そうか。それではそうしよう。そういうことにしようじゃないか。」オツベルが顔をくしゃくしゃにして、まっ赤になって悦 びながらそう云った。
どうだ、そうしてこの象は、もうオツベルの財産だ。いまに見たまえ、オツベルは、あの白象を、はたらかせるか、サーカス団に売りとばすか、どっちにしても万円以上もうけるぜ。
象の運命や如何に…
入社後…
「おい、お前は時計は
要 らないか。」丸太で建てたその象小屋の前に来て、オツベルは琥珀のパイプをくわえ、顔をしかめて斯う訊 いた。
「ぼくは時計は要らないよ。」象がわらって返事した。
「まあ持って見ろ、いいもんだ。」斯う言いながらオツベルは、ブリキでこさえた大きな時計を、象の首からぶらさげた。
「なかなかいいね。」象も云う。
「鎖 もなくちゃだめだろう。」オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくっつけた。
「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいう。
これはなかなかあくどすぎて、あるある…というわけにはいきませんが、私のいたブラック企業では、新入社員に住宅を斡旋したり、引っ越し費用を貸したりして恩を売るのです。それが後々、鎖となって辞めることも叶わない…そんな社員もいました。
鎖と分銅をはめられてしまった象にオツベルは過酷な労働を命じます。
「済まないが税金も高いから、今日はすこうし、川から水を
汲 んでくれ。」オツベルは両手をうしろで組んで、顔をしかめて象に云う。
「ああ、ぼく水を汲んで来よう。もう何ばいでも汲んでやるよ。」
象は眼を細くしてよろこんで、そのひるすぎに五十だけ、川から水を汲んで来た。そして菜っ葉の畑にかけた。
「済まないが…」
これが意外にもブラック社長の洗脳の手口です。
使命感を感じた象は、よろこんで仕事を引き受けてしまいます。
ブラック企業の社員が、なぜ会社を辞められないのか。今までも何度もブログに書きましたが、この使命感から徐々に洗脳されていくと私は考えています。
夕方象は小屋に居て、十
把 の藁 をたべながら、西の三日の月を見て、
「ああ、稼 ぐのは愉快 だねえ、さっぱりするねえ」と云っていた。
十把の量について、ウィキペディアによると…
「把」の字には片手で握るという意味を持ち、中国の度量衡が採用される以前は両手の親指と中指によって1つかみ分に相当する目分量の穎稲を指していた。
ということで、象にとって足りる量とは思えません。薄給すぎて涙が出てきます。それでも象は、やりがいを感じているのです。真面目な象です。真面目な社員ほど、「やりがいを感じる」と無意識に思い込んでしまうのです。
そして次の日も、その次の日も「済まないが…」と言われて象は張り切って働きます。餌の藁はどんどん減って、とうとう五把まで減ってしまいます。
その晩、象は象小屋で、七
把 の藁をたべながら、空の五日の月を見て
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言った。
どうだ、そうして次の日から、象は朝からかせぐのだ。藁も昨日はただ五把だ。よくまあ、五把の藁などで、あんな力がでるもんだ。
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」って、ひとりごとを言ったりして、自分を追いつめてませんか。
私は子どもの頃から「根性あるね」って、よく言われてました。だからブラック企業で働くようになっても、「疲れることは良いことだ、立派に働いていて、偉いのだ」って自分に言い聞かせて、体を壊す一歩手前でした。
象、ついに野生に帰る
オツベルかね、そのオツベルは、おれも云おうとしてたんだが、居なくなったよ。
まあ落ちついてききたまえ。前にはなしたあの象を、オツベルはすこしひどくし過ぎた。しかたがだんだんひどくなったから、象がなかなか笑わなくなった。時には赤い竜 の眼をして、じっとこんなにオツベルを見おろすようになってきた。
ブラック企業にずっといると、冗談じゃなく、笑えなくなってきます。しかもこれが、自分では全く気付きません。
ある晩象は象小屋で、三把の藁をたべながら、十日の月を
仰 ぎ見て、
「苦しいです。サンタマリア。」と云ったということだ。
こいつを聞いたオツベルは、ことごと象につらくした。
オツベル憎し…。
弱音を吐こうものなら、「気合いが足りない」「社会をなめてんのか」と怒鳴られ、給料も減らされる。そんな会社がきっと山ほどあります。
ある晩、象は象小屋で、ふらふら
倒 れて地べたに座り、藁もたべずに、十一日の月を見て、
「もう、さようなら、サンタマリア。」と斯う言った。
「おや、何だって? さよならだ?」月が俄 かに象に訊 く。
「ええ、さよならです。サンタマリア。」
「何だい、なりばかり大きくて、からっきし意気地 のないやつだなあ。仲間へ手紙を書いたらいいや。」月がわらって斯う云った。
幸運なことに、象には相談相手がいました。
死んでしまう前に、助けを求めることができたのです。
「お筆も紙もありませんよう。」象は細ういきれいな声で、しくしくしくしく泣き出した。
「そら、これでしょう。」すぐ眼の前で、可愛 い子どもの声がした。象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立って、硯 と紙を捧 げていた。象は早速手紙を書いた。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出て来て助けてくれ。」
童子はすぐに手紙をもって、林の方へあるいて行った。
赤衣 の童子が、そうして山に着いたのは、ちょうどひるめしごろだった。このとき山の象どもは、沙羅樹 の下のくらがりで、碁 などをやっていたのだが、額をあつめてこれを見た。
「ぼくはずいぶん眼にあっている。みんなで出てきて助けてくれ。」
象は一せいに立ちあがり、まっ黒になって吠 えだした。
象たちはオツベルの邸に突撃します。
グララアガア、グララアガア。その時はちょうど一時半、オツベルは皮の
寝台 の上でひるねのさかりで、烏 の夢 を見ていたもんだ。あまり大きな音なので、オツベルの家の百姓どもが、門から少し外へ出て、小手をかざして向うを見た。林のような象だろう。汽車より早くやってくる。さあ、まるっきり、血の気も失せてかけ込 んで、「
旦那 あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。」と声をかぎりに叫んだもんだ。
ところがオツベルはやっぱりえらい。眼をぱっちりとあいたときは、もう何もかもわかっていた。
「おい、象のやつは小屋にいるのか。居る? 居る? 居るのか。よし、戸をしめろ。戸をしめるんだよ。早く象小屋の戸をしめるんだ。ようし、早く丸太を持って来い。とじこめちまえ、畜生 めじたばたしやがるな、丸太をそこへしばりつけろ。何ができるもんか。わざと力を減らしてあるんだ。ようし、もう五六本持って来い。さあ、大丈夫だ。大丈夫だとも。あわてるなったら。おい、みんな、こんどは門だ。門をしめろ。かんぬきをかえ。つっぱり。つっぱり。そうだ。おい、みんな心配するなったら。しっかりしろよ。」
ブラックであればブラックであるほど、経営者は怪しい弁護士などを味方につけたりしていて、法の網をくぐって開き直っています。
それが恐ろしくて辞められなかったり、辞めても泣き寝入りしたりするのが今の現状だと思います。
だから、この先の展開は、ブラック企業などこうなってしまえばいいのにという、願望です。
象は邸の周りを駆け回り、百姓どもは巻き添えを恐れて降参し、オツベルは一人で叫びながらピストルをぶっぱなしますが、象には効きません。
そのうち、象の片脚が、塀からこっちへはみ出した。それからも一つはみ出した。五匹の象が一ぺんに、塀からどっと落ちて来た。オツベルはケースを握ったまま、もうくしゃくしゃに
潰 れていた。早くも門があいていて、グララアガア、グララアガア、象がどしどしなだれ込む。
象の群れによって、白い象は助けだされます。今の日本にも、ブラック企業を取り締まる強い力が必要なのかもしれません。
「
牢 はどこだ。」みんなは小屋に押し寄せる。丸太なんぞは、マッチのようにへし折られ、あの白象は大へん瘠 せて小屋を出た。
「まあ、よかったねやせたねえ。」みんなはしずかにそばにより、鎖と銅をはずしてやった。
「ああ、ありがとう。ほんとにぼくは助かったよ。」白象はさびしくわらってそう云った。
おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
ブラック企業に入社してしまった代償はとても大きくて、一人では立ち上がれません。そんなとき、しっかり支えてくれる制度がもっと充実していたらいいのにな、と思います。
以上、『オツベルと象』を読んで泣いた理由でした。
宮沢賢治さん、あなたの時代から、日本は何も変わってないみたいです。
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